仏陀安居の地 祇園精舎




まえがき

平家物語の冒頭に
祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。
とある。
果たして祇園精舎には鐘があるのだろうか。もしあれば、諸行無常の響きがするのだろうか。それを確かめるために、2009年2月17日、祇園精舎へと向かった。 祇園精舎の正式名称は祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおん しょうじゃ)という。インドのシュラーヴァスティーにスダッタ(須達多)という、身寄りのない者を憐れんで食事を給していたため、人々から「給孤独者」と呼ばれていた富豪がいた。
ある日、スダッタはお釈迦さまの説法を聞いてこれに帰依し、彼に説法のための寺院を寄付しようと思い立った。そして見つかった土地が、ジェータ太子の所有する森林であった。その土地の譲渡を望むスダッタに対して、ジェータ太子が「必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろう」と戯れで言った。しかしスダッタが本当に金貨を敷き詰め始めたため、ジェータ太子は驚いて、そのまま土地を譲渡し更に自らも樹木を寄付して、寺院建設を援助した。
そのために、この僧園はジェータ太子と給孤独者スダッタ両者の名を冠して祇樹給孤独園と呼ばれ、そこに建てられた精舎を祇樹給孤独園精舎と称するようになった。
また、浄土宗で読まれるお経に阿弥陀経(あみだきょう)があり、その冒頭には、
如是我聞.一時佛在.舍衞國.祇樹給孤獨園.與大比丘衆.千二百五十人倶
(和訳)次のように、私は聞かせていただいた。あるとき、釈尊は舎衛国の祇園精舎においでになり、千二百五十人のすぐれた弟子たちと一緒であった。
と書いてある。

どこにあるの

現在、サヘート(Saheth)と呼ばれているのは祇園精舎の跡、マヘート(Maheth)は仏陀在世の頃、紀元前5世紀、コーサラ国の首都シューラヴァスティー(Sravasti)(舎衛城)があった所である。

サヘート 祇園精舎

祇園精舎は静かな公園であった。大きな菩提樹がそびえ立ち、発掘されたレンガ造りの僧院の基壇だけがかつての栄華を忍ばせる。静かさを破るように、突然、犬の吠える音がした。野犬が、猿の親子を追いかけていたのだ。
お釈迦さまは、ここで、23回も雨安居を過ごしている。雨安居とは、雨季に修行僧が一か所に定住して過ごすこと。つまり、合計23年に渡ってここで過ごしたことになる。
この遺跡は、関西大学名誉教授 故網干善教先生が中心となって発掘された。


(1) 祇園精舎の入口。入場料とカメラ持込料を払って入ると、有料の案内人が待っている。筆者は、一人でゆっくり見たいので、丁重に断った。


(2) 南側の僧院跡にて、阿弥陀経を読誦した。


(3) 整然と整備された公園。


(4) 発掘途中の遺跡もある。


(5) お釈迦さまが説法されたと伝えられる僧院跡に佇んでみた。


(6) 北側にある最も大きな僧院跡には、花が並べられていた。


(7) 公園の中心の通り。


(8) いくつもの逆T字形に見える基壇は、修行僧の個室の跡。


(9) 祇園精舎から北にみえる丘がマヘート(舎衛城跡)


地図1 サヘートの衛星写真(Google Mapより)。矢印が撮影方向で番号は上記写真番号に対応。

マヘート 舎衛城

祇園精舎の北東500mほどのところに小高い丘がある。ここが、現在マヘートと呼ばれる、かつてのコーサラ国の首都シューラヴァスティー(Sravasti)(舎衛城)である。かつて、交通の要衝として商業で栄えたが、その栄華の面影は何もなく、ただの雑木林で、二つのストゥーパが発掘されている。 現在、その一つは、修復中であった。


(10) サヘートからマヘートねお道すがら。


(11) ジャイナ教寺院跡。マヘートに入り、坂を登ったところにある。


(12) アングリマーラのストゥーパの上から祇園精舎方面への道を望む。


(13) パッキ・クティ(Pakki Kuti)アングリマーラのストゥーパ


(14) カッチ・クティ(Kachchi Kuti) スダッタのストゥーパ。スダッタ(給孤独)長者の屋敷跡に建てられたといわれている。


現在、パッキ・クティは修復中であった。古いレンガの上に、新しいレンガで覆う。











サヘートの西側には、タイの寺院があり、参拝者で賑やかであった。黄金に輝く大仏と巨大な聖堂が建設中であった。


地図2 マヘートの衛星写真(Google Mapより)。マヘートは三日月型の小高い丘。矢印が撮影方向で番号は上記写真番号に対応。

子どもたち

サヘートからマヘートへ向かう途中の畑で、遊んでいた子どもたちが純朴で、野良仕事の両親の許可を得て思わずシャッターを切った。

















2月は、菜の花が満開。

アクセス

サヘート・マヘートへの行き方は、「地球の歩き方」、「ロンリープラネット」ともに概略が掲載されているだけで、情報不足である。筆者は、不安を抱えての巡礼であった。そこで、読者に少しでもお役に立てばと思い、詳細に記録した。
概略として、デリー → ゴンダ(gonda) → バルランプール(Balrampur) → サヘート・マヘートの順。


デリー → ゴンダ
ニューデリー、ゴンダ間は夜行列車で一晩の旅。 1等、2等寝台を予約するには、少なくとも数週間前にはインターネットで予約する必要があります。(予約方法は地球の歩き方に掲載されている。)
Indian Railway Catering and Tourism Corporation Limited
例えば、次の列車がある。




ゴンダ → バルランプール
方法は鉄道、バス、乗合ジープと3通りある。鉄道は、ゴンダ駅の北側ホームからメータゲージ(狭軌)の始発列車がある。時刻表が分からなかったので利用しなかった。(多分、1日16往復程度)安全で快適でしょう。
バスは、頻発しています。筆者は乗らなかった。バス停は地図を参照。インドのバスは、基本的に満員になったら出発する。
筆者が利用したのは乗合ジープ。地図のバス停付近で「バルランプール、バルランプール」と叫んでいるのですぐ分かる。所要時間は80分。運賃Rs.30。ただし、スリル満点で寒い。帰りも利用してしまった。 ドアのないジープで2月の早朝の風は応えるのでジャンパーを着れば良かった。ジャンパーの入った荷物は屋根の上に預けてしまった。

バルランプール → サヘート・マヘート
バルランプールは賑やかな街である。ジープを降りたら、前方へ進むと交差点がある。そこを左折(西へ)すると、 軽ワゴン車のような乗合タクシーがいっぱいある。所要時間は30分。運賃Rs.10。他の乗客にサヘート・マヘートで降りることを話しておくと良い。
また、乗合タクシーのある通りの北側にはツーリスト・オフィスがある。

サヘート・マヘート → バルランプール
地図6の左下まで行き、乗合タクシーやオートリクシャーが拾える。ゴンダまで直行便があるそうだが分からなかった。

ゴンダのホテル
ゴンダのホテルは、散在している。オートリキシャーでどこかのホテルへ案内してもらうと良い。市内運賃Rs.10。
筆者は夜11時にゴンダ駅に到着し、それからホテル探しを始めたが4軒で断られた。そこで、新たなオートリキシャーを捕まえ、英語は通じないが、リキシャーワーラーに「兎に角ホテルを探せ」というようなことを言った。そしたら、2か所で交渉を始め、20分後、3か所目でやっと空室を見つけてくれた。部屋代Rs.450。ところが、ワーラーは成功報酬としてRs.100を要求してくる。すったもんだの挙げ句、Rs.70で決着。一時は、駅で野宿も考えたのだから。良しとしよう。


地図4 ゴンダ市街の衛星写真(Google Mapより)。


地図5 バルランプールの衛星写真(Google Mapより)。


地図6 サヘート・マヘートの衛星写真(Google Mapより)。


ゴンダ駅(Gonda)。


私は、ゴンダ(Gonda)からバルランプール(Balrampur)までこの乗合いジープを利用した。 80分の最高速度100km/hのスリルに満ちた旅。しかも前席5人、後席5人と合計18人も乗る。


この鉄道で行くこともできる。ただ、出発時刻が分からなかったので利用しなかった。こちらの方が快適で安全。


このオートリクシャーを1日雇って、サヘートまで行くことも出来るが、長距離なので時間がかかるでしょう。


サヘートからの帰路、デリー行きの列車発車時刻は18:20のため、余裕を見て、ゴンダ駅には16時半に到着したが、 例によって、列車は遅れ、発車は20:20。駅で4時間も待たされた。でも、何でもない。何でもない。これが、インドだ。


サヘートの南の通りを1kmほど西に進むと、この市街地がある。バス停を聞きながら、南に進むと、バルランプール行きのバスやオートリクシャーがある。

Google Mapで見ると


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サヘート。北東へ移動すると、三日月形のマヘートが分かる。



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Balrampurの地図


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Gondaの地図


Ver.1 2009年6月12日
Ver.2 2009年6月17日

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