玄奘寺
玄奘寺の開創は北魏時代(386年 ~ 534年)まで遡る。
北魏の第5代孝文帝は洛陽に遷都すると急速な漢化政策を推し進め、洛陽郊外に龍門石窟などの仏教寺院を創建し中国仏教の最盛期を迎えた。
玄奘寺もこの時代で造営され、当時の名前は霊岩寺だった。玄奘の生家からも数キロを近く、9才の時から家族に連れられて霊岩寺のお経を聞くうちに、仏教の法儀に興味を持ち始めたという。
後代に、玄奘三蔵の業績を称え、玄奘の偉大な業績を記念するため、霊岩寺は唐僧寺と改名された。(中国では、玄奘は唐僧と呼ばれている)
さらに則天武后がこの寺を通ったときに6.7ヘクタールの領地を賜った。
しかし、唐僧寺は都洛陽に近い為、戦争に巻き込まれ、たびたび焼き払われ、いくつの石碑以外に当時の堂宇はほとんど残されていない。現在の建物は明清時代のもの(天王殿、唐僧殿)に基づいて改修されたものである。1990年、当時の中国仏教協会会長趙僕初の提案で、唐僧寺は正式に玄奘寺の寺名を決めた。
玄奘は、当初、霊岩寺の隣の白鹿原に埋葬されたと伝えられている。その後、長安の興教寺に改装された。
詳細は、
http://kaimyou.sanzou.jp/gensyozi_history.htmlを参照してほしい。
洛陽から少林寺へ向かう道沿い左側(東側)に玄奘寺の山門が見える
山門をくぐると、強大な玄奘像がそびえている
その奥に大雄宝殿がある
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