太平記で有名な篠塚伊賀守
伊賀守 今張浜から沖ノ島へ渡る図 国芳画 大信寺蔵
波乱の生涯
この解説は、「篠塚伊賀守と篠塚家伝来の什宝展」(平成18年4月7日(金)~16日(日) 邑楽町立図書館 主催:浄土宗大信寺 後援:邑楽町教育委員会 上毛新聞社 群馬テレビ)における解説パンフレットから引用したものです。
解説パンフレットのPDFファイルはこちらからご覧になれます。
波崎の碇石と船頭の宮
茨城県神栖市波崎に半分地上に出てにひっそり佇む碇石。 これは、伊賀守が魚島から波崎に上陸した折りに、乗ってきた船の碇を記念に安置したものと伝えられています。
また、その船の船頭は、この遙か彼方のこの地に住み、そしてこの地にて生涯を終えた。その御霊の安らかなることを願って建てた祠が船頭の宮です。
伊賀守滞在の地 魚島
伊賀守は笠松城から単独で落ちのび敵の舟を乗っ取り、沖ノ島(現在の愛媛県上島町魚島)へ落ちのびました。 その魚島へ訪問しました。
伊賀守激戦の地 世田城と笠松城
世田山と笠松山(愛媛県今治市)に登山し、かつての激戦に思いを馳せました。
伊賀守にまつわる錦絵
大信寺所蔵の錦絵を紹介します。