アフラシャブ

アフラシャブ(サマルカンド)

ここサマルカンドはレギスタン広場であまりにも有名である。「チンギスハーンは破壊し、ティムールが建設した」と言われるように、ティムールが造ったメドレセ(神学校)や霊廟のブルーのタイルが雲一つない青空に映える。
しかし、今回の目的は玄奘三蔵の足跡であるが、その地は、13世紀、チンギスハーン率いるモンゴル軍によって、跡形もなく破壊され、ラツダ草が生える荒涼とした地となっている。
筆者は、2008年8月23日に、ブハラから列車で到着した。


レギスタン広場

大唐西域記には

颯秣建国(康国)
颯秣建国は周囲が千六、七百里かり、東西が長く、南北が狭い。国の大都城は周囲二十余里である。 非常に堅固で住民は多く、諸国の貴重な産物がこの国にたくさんある。土地肥沃で農業が十分行きとどき、木立ちはこんもりとし花・果はよくしげっている。良馬を多く産する。機織の技は特に諸国より優れている。気候は温和で、風俗は激烈である。すべての胡国はここを中心としている。進退礼儀は遠近の諸国ともに、ここにその手本をとるのである。ここの王は豪勇の人で、隣国はその命を承けている。兵馬は強盛で、多くは赭羯(チャカル)である。赭羯の人は、その性質が勇烈であり、死を視ることを帰するがごとく、戦って前に[打ち向かう]敵がないほどである。これより東すると弭秣賀国(マーイムンダ)に至る。
と記されている。(水谷真成訳 大唐西域記 平凡社から引用)


レギスタン広場のメドレセのミナレットの上から砂漠に昇る朝日を眺める。ここサマルカンドは巨大なオアシス都市である。


緑が意外と多い。こまめに灌水されている。


町の北東にモンゴル軍に破壊されたアフラシャブの丘がある。ここはその南西端。


荒涼としたアフラシャブの丘。当時のタイルの破片でも落ちていないか探したが何もない。


アフラシャブの丘の南側の道の2km先にウルグベクの天文台跡があり、その途中にラクダの像がある。


出土したコイン。アフラシャブ博物館にて。


テラコッタの像。アフラシャブ博物館にて。


市場は活気があり、服装も華やか。


なつめ、香辛料などオアシスの産物。


サマルカンドのナンは、香ばしくて美味しい。そのままで1か月保存可能とのこと。

Google Mapで見ると


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レギスタン広場


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アフラシャブの丘

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