出家前の居城ティラウラコット

出家前の居城 カピラバストゥ(Kapilvastu)

ティラウラコット(Tilaurakt)は、お釈迦さまが出家する前、シャカ族の太子ゴーダマ・シッダールタとして29歳まで 過ごしたカピラバストゥ(Kapilvastu)城跡の候補地とされている。
この城跡は東西400m、南北550mで西門、東門の跡などが発掘されているが、 これらは紀元前2世紀以降のもので、お釈迦さまの時代である紀元前5世紀の遺跡は、更にその下にある。
しかし、出家する決意を固めたとされる四門出遊の話に思いをはせるには充分であった。

ここで、カピラバストゥ城はお釈迦さまが出家前の居城であることは確かである。 さて、ティラウラコットの遺跡がカピラバストゥ城であったかどうかは論争中である。 インド領内のピプラハワ(ルンビニからティラウラコットへ向かう途中を南に曲がりインド領に入ってすぐのところ)もカピラバストゥ城の候補地である。

ルンビニからティラウラコットへの道

2009年2月16日午前10時半、ルンビニでタクシーをチャーターし、スヴェンドラさんの運転でタウリハワ(Taulihawa)を経由してティラウラコットまで30kmの道を進んだ。
この道を身重のマーヤー夫人が里帰りのため通ったのかと思い、馬車、歩行者、自転車、満員バスとすれ違いながらスズキのタクシーは快走する。


延々と続く直線道路、左側の数キロ先は、インドとの国境。


屋根まで満員のTATA製のバス


途中の典型的な農家。


タウリハワ市街へのゲート


タウリハワ中心地のロータリー。中央には仏陀像。

ティラウラコット遺跡

ルンビニから一時間後、タクシーを待たせて、早速、40分ほど見学。すると、若い男性から声を掛けられ、案内が始まる。 まあ、折角だから承諾し、質問しながら、説明に耳を傾ける。西門と東門、そして中央部分に井戸が発掘されている。
ここからの出土品は、近くの博物館に展示されている。博物館では、2世紀ごろクシャン族に征服された時代のコインなどが多く展示されていた。


遺跡の入口 入場無料。


西門の遺跡を東側から撮影。かつてここで、シーダールタ王子が見たのは、死者を嘆き悲しむ人々だった。


西門の遺跡を北側から撮影


城跡の中央にある井戸跡


東門を西側から撮影


東門の外では、薪を運ぶ親子の姿。かつてここで、シーダールタ王子が見たのは、腰が折れ曲がった醜い老人だった。


発掘された遺跡のレンガは、その上に新しいレンガを積んで保護するそうだ。上の2段が新しいレンガ。

シュドーダナ王とマーヤー夫人のストゥーパ

城跡から北へ200mほどの所にレンガ積みのストゥーパ(Jori Stupa)が二つ並んでいる。 シッダールタ太子の両親であるシュドーダナ王とマーヤー夫人を火葬にした跡と伝えられているが

釈迦族の末裔たち

遺跡内には数件の茅葺きの民家がある。そのうちの1件はDIYでレンガの家を建設中だった。人々の顔つきは、インド人とは明らかに異なる。
釈迦族の末裔たちであろうか。
この後、インドに戻って、列車の中で、若者と話をしていたら、「ネパールは貧しい国だ」と言っていた。


サリーはカラフルで見ているだけで楽しい。


農作業のおじさんに声を掛けたら、写真を撮らせてくれた。


行者?バラモン?


何か宗教行事のようであった。


お父さんがレンガの家造りに頑張っていた。


老婆がうずくまって動かなかった。

アクセス

ティラウラコット(カピラバストゥ)はタウリハワの市街の北西に位置する。 ルンビニから西へ約27km。
筆者は、時間節約のためルンビニのホテルで斡旋してもらいタクシーをチャーターした。 ルンビニ→ティラウラコット(見学)→スノウリで料金Rs.2300(インドルピーで支払い、日本円で4000円) 運転手はスヴェンドラさん、車はスズキのスウィフト。スズキの車は良いと自慢していた。
コースはルンビニ10:30→ティラウラコット着11:30→遺跡見学40分→博物館見学20分→ ルンビニ博物館着13:20→発13:40→スノウリ着14:15。
しかし、帰国後、分かったことであるが、地図にあるようにピプラハワにも行けば良かったと大いに後悔している。 ティラウラコットからの帰路、ちょっと南へ進んで、国境を越えれば行けたのだが。
ピプラハワはカピラバストゥのもう一つの候補地でインド領にある。 ここの遺跡から、ブッダの舎利(遺骨)が出土し、現在、デリーの国立博物館に展示してある。


ルンビニ、ティラウラコットの概略図


ティラウラコット遺跡地図

Google Mapで見ると


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ティラウラコット
Ver.1 2009/6/10
Ver.2 2009/6/24

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