仏陀説法の地 霊鷲山 ラージギル
まえがき
成田空港からインドの首都デリーまで10時間、寝台特急でガヤーまで11時間、更に、満員バスに3時間揺られてラージギルにやっと到着する。2008年2月17日午後3時。
ここは、2500年前、お釈迦さま時代にマカダ国の首都である王舎城として栄えた。この城は周囲40kmの城壁で囲まれ、今でも高さ1.5m、幅2mほどの城壁の一部が往時を偲ばせる。
時の国王は、頻婆娑羅(ビンビサーラ)王であり、お釈迦さまに深く帰依していた。 この城内の南方にグリッドラクータ山がある。ここでお釈迦さまは、晩年、説法をされた。別名を霊鷲山(りょうじゅせん)ともいう。
ラージギルは、小さいが、のどかな街ではない。雑然と喧噪である。路傍にはゴミが散乱し、野良犬や聖なる牛が闊歩し、サイクルリキシャー(自転車の人力車)、タンガー(ロバが引く客車)、バスやトラックがけたたましく走り去っていく。
ここの2月は日本の初夏の陽気であるが、5~8月の夏には、気温45度にも達し、激烈である。人も大地も燃え上がる太陽にさらされ、自然は容赦をしない。そんな中で、仏教は誕生したのである。
到着後、まずは、ホテル探し。見当を付けたホテルにて1泊1,400円で交渉成立。チェックイン後、商店が立ち並ぶ中心部でタンガーを雇い、南へ5km、20分で霊鷲山の麓に到着する。ここから、1kmほどのなだらかな坂道を上ると山頂に着く。山頂といっても、ラトナギリ(多宝山)の山腹にある小高い丘である。この道は、ビンビサーラ王がお釈迦さまに会いに行くために整備した道であり、現在では、日本の信者の協力により幅2mほどの階段状の舗装道路となっている。
少々、息が切れた。現在、2008年2月17日午後5時。山頂近くには、洞穴が二箇所あり、お釈迦さまの弟子である阿難(あなん)がここに籠もって瞑想していたという。山頂には、畳30帖ほどの平地があり、西側には幅3m、奥行き4mほどのレンガ造りの土台だけが残る祠堂(香室)跡がある。お釈迦さまは、晩年に、好んでここに逗留され、しばしば説教をされたという。
それで、ここが舞台となっている経典も多い。
例えば、法華経、無量寿経や観無量寿経の冒頭部には、
『私はこのように聞きました。ある時、お釈迦さまは王舎城という国にある耆闍崛山(ぎしゃくつせん、霊鷲山のこと)に千二百五十人の修行者たち、三万二千人の諸菩薩とともにおられた。』
とある。
ここで「私」とは弟子の一人である阿難のことであり、一般に経典は、弟子たちがお釈迦さまの説法をこのように聞いたという形式で書かれている。 さて、実際には1,250人、更には32,000人もの大勢がとても入れる余地は、ここにはないが、ここでお釈迦さまが説法をしたことは史実であろう。
ちょうどタイからの巡礼団20名ほどが祠堂に向かって読経中であった。その先には原生林に沈む夕日が眩しい。私も声の大きさでは負けずに一人法要を開筵した。
王舎城 ラージギル
お釈迦さまの在世当時の紀元前5世紀、インドの2大強国はコーサラ国とマカダ国であり、マカダ国の首都ラージグリハ(現ラージギル)には王舎城があった。国王はビンビサーラ王で王子はアジャータシャトルであった。ビンビサーラ王は釈尊に深く帰依し、厚遇した。
当時の王舎城は周囲40kmの外壁で囲まれていた。 その中に、 また、ラージギルには、仏教史上最初の僧院 竹林精舎があった。現在は発掘され、竹林と方形の池がある。当時の仏教教団は、雨期になると一か所に集まり修行に励んだ。そのための宿舎が必要で、ここは、ビンビサーラ王がジャイナ教徒を追い出して、釈尊に寄進したところである。
王舎城の南門付近の城壁。ガヤーからのバスは南門から入る
新王舎城の城壁。高さは1.5mほど
霊鷲山
ラージギルの中心部から6km南にグリドラ・クータ山がある。経典では霊鷲山(りょうじゅせん)旧訳では耆闍崛山(ぎしゃくつせん)とある。釈尊はここに好んで逗留され、数々の経典の舞台となっている。
ビンビサーラ王はお釈迦さまの説法を聞くため、多数の人員を動員して、麓から山頂まで石畳を敷きつめ階段を作った。王はその道を登って、足しげく聴聞に通った。現在の登山道はコンクリート舗装されているが、当時の石畳が露出し、ビンビサーラ・ロードと親しまれている。
そんな霊鷲山も、仏教の衰亡以来ジャングルに埋もれ、長い間その所在が判らなくなっていたが、それを発見したのが、日本の大谷探検隊である。彼らはジャングルの中に決死の天幕を張り、長い時間を費やして、遂に明治36年1月、旭日に照らされるこの山を見いだし、霊鷲山と断定した。
ビンビサーラ・ロード。麓までタンガ(馬車)で来て、この道を歩く。
途中にある霊山橋。日本の協力で建設したそうだ。
霊鷲山を下から臨む。
途中にある洞窟。
その内部。
右に曲がって、更に階段を登る。
もう一つ洞窟がある。奥行き3m、高さ1mほど。
頂上付近は岩場である。
この岩が鷲に見えるから霊鷲山とも、鷲が住んでいたからともいわれる。
タイからの巡礼団20名ほどが祠堂に向かって読経中。その向こうに夕陽が。
レンガ造りの香室跡
私も一人、法要を営む。
香室跡から見下ろすビンビサーラ・ロード。山賊が出るらしいので途中にはマシンガンを構えた警官が警護している。
麓からロープウェイでラトナギリ(多宝山)に登り、下りながら霊鷲山へ行くこともできる。私は、夕方で時間がないので利用した。
途中から霊鷲山を臨む。
温泉精舎
インドでは珍しい温泉がある。橋を渡り進んでゆくと、右側で沐浴やら洗濯をしている。ここは、低いカーストの温泉らしい。 更に進むと、下へ降りる階段があり、そこで大勢が温泉を浴びているのが見える。
すると、すかさず、バラモンがやってきて、温泉水を手に掛けお祈りを勝手に始める。その後、100ルピーだという。
私は、1ルピーを渡して、すぐさま逃げた。このような用心のために、ポケットには小銭を用意しておくとよい。
ちなみに、私は、温泉好きだが、とても入浴する気になれなかった。
温泉の建物全景
露天風呂、ここは、低いカーストのため。
洗濯をするそばで、子供が楽しんでいる。
階段の下が温泉。下まで降りる勇気はなかった。
温泉横のサロン
額に付ける化粧品を売っている。
竹林精舎跡(Venuvana-vihara)
世界最初の仏教寺院。カランダカ長者が寄付した竹林に、ビンビサーラ王が伽藍を建立した。インドには雨期があり、その間の定住場所である。当時、中心地から遠からず近からずの場所であったのだろう。
入り口
確かに竹が束になって生えている。
カランダカ池。沐浴をしたところであろう。インドの池は方形であり、水位の変化に対応して階段が付いている。
ビンビサーラ王の牢獄跡
ビンビサーラ王が息子である王子アジャータシャトルに幽閉されたことが、観無量寿経などに書かれている。それは王舎城の悲劇として語られている。(別のページで解説予定)
それを裏付けるかのように、ここから鉄製の足かせが発掘され牢獄と確認された。周りは厚さ2mの石の壁で60m四方である。
ジーバカのマンゴ園
ジーバカ(Jivaka)は王に仕えた外科医であり、お釈迦さまに帰依していた。ここは、マンゴー園とも僧院をもいわれている。
アジャータシャトルのストゥーパ
ラージギルの中心部の幹線道路沿いにある。
ピッパラ石の家(Pippala Stone House)
温泉精舎の裏山を登る途中にある石造物。看板によるとJarasandh-ki-Baithakとして知られている。 ブッダが度々訪れたPippala Stone Houseと確認された。(563-4?3 B.C.)
インドでは、紀元前5世紀のものが何気なく立っているという奥深さを感じる。
温泉精舎へ渡る橋を越えて、向こうの山へ登る途中にある。
下から見上げると、石組みの土台が。
何か洞窟のような穴がある。
土台の上から温泉精舎を見下ろす
ラージギルの喧噪
ここの公共交通機関はサイクルリキシャー(人力自転車)とタンガ(馬車あるいはロバ車)である。
パトナやガヤーからのバスもある。ただし超満員。
まず、値段交渉をして雇うこと。ホテルから霊鷲山の麓まで6kmを往路は20ルピー、復路は100ルピー。
中心部のタンガのターミナル。ここで値段交渉。
ラージギルの一般的な店。コンビニやスーパーなどもちろんない。
チャイがおいしい。2ルピー。
名前に惹かれて宿泊したシッダールタホテル(Siddharth Hotel)。シングル1泊1400円、ただし、水シャワー。寒くて使えなかった。お湯シャワーの部屋はもっと高く1800円。
温泉精舎の裏山を登ると第1回結集が行われた七葉窟かあるとのことで登ってみたが、疲れたので断念。 朝もやの町並みを見下ろす。
朝日が昇る山の右の山が霊鷲山。
牛が一人で山登り。ラージギルの牛はさすが賢い。
ヒンドゥー教の神。温泉精舎の入り口にある。
バスターミナルにある観光案内板
アクセス
筆者のラージギルでの日程は次のとおりである。
2008年2月17日
13:00 Manpur(Gaya)発
16:00 Rajgirバススタンド着、サイクルリキシャーにてSiddharthホテルチェックイン
16:30 ホテル前からタンガを雇い、グリッドラクータ山へ向かう。
17:00 リフトでラトナギリへ、坂を下って、グリッドラクータ山へ
17:30 グリッドラクータ山下山
18:00 タンガを雇い、ホテルへ
2月18日
6:30 竹林精舎、温泉精舎へ。温泉精舎の裏道から山を登り、七葉窟を目指すが断念。
8:30 ホテルにて朝食
9:40 バススタンドからナーランダへ出発
わずか、18時間の滞在である。
グリッドラクータ山へのビンビサーラ道には、山賊対策としてマシンガン携帯の警官が警戒している。 筆者が登った頃は、まだ、観光客がいたので少々安心であったが、もう少し遅くなると危険かも知れない。
帰りに、リフト乗り場でタンガを雇えたのはラッキーだった。ただし、往路はRs.20、帰路はRs.100とふっかけられた。往復で雇い、待たせておく方が得策。
本当は、ビンビサーラ道をてくてく歩いて登りたかったが、 夕暮れで時間がないので、リフトでラトナギリ中腹まで行き、坂道を降りてグリッドラクータ山へ向かった。
このため、グリッドラクータ山を上方から見ることができた。
更に、得策として、Manpur方面からバスで来る場合、グリッドラクータ山入口(ゲートがあるので分かりやすい)で降り、山に登ってから、ホテルを探すのもよい。
詳細は、「地球の歩き方」の地図(距離が正確ではない)と下図とを参照するとよい。
ラージギル全図(Rajgir)
ラージギル南部
グリッドラクータ山(Griddhakuta)(霊鷲山)
Google Mapで見ると
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ラージギル全図
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グリッドラクータ(霊鷲山)
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牢獄跡
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竹林精舎
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旧王舎城 城壁跡(中央に南北に走る道路がガヤーからラージギルへ至るバス通り。 左側中央から右上への影がある道路のようなものが城壁跡)
Ver.1 2009/6/10
Ver.2 2009/6/24
Ver.3 2009/7/03